Kit_A ( a.k.a. KITA YOSHIKI )

Roadcone with ....

 ロードコーンは、人間が係る場所に置かれます。それは、これから作られていく場所だったり、人がすごく集まる場所だったり、人の手に触れてほしくない場だったり…。人がいる場所、いた場所を証明するものの一つとも言えるでしょう。 また、本来は道路標識と同様に「注意喚起」などのために使われる物ですが、その形状の愛らしさからいろいろな使われ方をもしています。

※札幌国際芸術祭(2014.07.19〜09.28)の期間、その風景、係る人々をロードコーンと一緒に撮影、その様子を紹介するページとして作成したのがはじまりです。

↑ Roadcone with you. ロードコーンと一緒に撮りました。click!!

2014年8月8日金曜日

一石を投じる

 瀬戸内アートトリエンナーレでは、島々の写真がメインビジュアルに使われていた。札幌国際芸術祭でもモエレ沼公園のガラスのピラミッドの写真がポスターやWEBページのメインに使われている。これは、瀬戸内や越後妻有のような作品点在型で作品とその土地を一緒に楽しんでもらうイベントという意味合いに受け取りたいが、札幌の場合は写真映えする作品がほとんどないのも理由のひとつかもしれない。また、会場が離れてはいるが新潟の水と土の芸術祭のようにパブリックな空間に配置している作品も少ない。札幌芸術祭は、最近女性雑誌とかでおしゃれに扱われるアートツーリズムなどのグラビア向きな作品は少ないかもしれない。

 その中で、島袋道浩さんの道庁前の「一石を投じる」は重要な作品になっている。
 そのロケーションを含めて写真に残したい強烈なビジュアルを持っていて、関心の低くてもそこを通る人に芸術祭を強くアピールする作品になっている。
 それだけではなく、その石はアイヌの聖地でもある二風谷から運ばれたものであり、この石が北海道のどんな歴史を眺めてきたことかと憶いを馳せる人も多いであろう。本人は初日のトークの中で「整然と整った札幌の街に、グニャグニャとしたものを置きたかった。一石を投じたかった、」という旨のことも語っていた。「既存の石のある場所を移動する」だけの作品だが、美術作品が物質である以上、「絵画なら絵の具を動かしているだけ」「彫刻なら粘土などの物質の移動にすぎない」と言い換えることも可能であり、色々な意味で「一石を投じている」。


 「ロードコーン」が街に配置される場面のメインは、道路工事などでの「道案内」「立入り禁止」の標識代わりである。当然、街の美観を大きく損ねるような色合いだったりする場合もある。工事現場が長期にわたる場合は、今日ではフェンスの色合いまで気を使ったりする場合もあるが、ロードコーンなんかで問題が起こったことはおそらくないであろう。「仮設である」ので、見逃してもらっている場合もあるだろう。重要な事件で封鎖されたり、街中の美容室で看板代わりに使われたりと、今日は実に幅広く活躍の場面をもらっている。
 強烈なビジュアルは他の風景をぶちこわすくらいでありながら、「投じられた」ロードコーン自体は語られることは少ない。と結びつければ強引すぎるかもしれないが…。

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